「軍師官兵衛」最終回に“登板”
東洋大学附属姫路高等学校では長谷川滋利とともに主軸エースとして活躍し、1986年には全国大会ベスト8の実績を持った。
同年のドラフトで阪神タイガースから2位指名され、1987年入団。投手として活躍する。
入団後は1軍と2軍の往復が続いたが、1992年3月に欧州にて開催が予定された、バルセロナオリンピック出場国壮行試合でキューバと対戦する遠征チームメンバー[1]に選出されるも、事前に相手方の都合で遠征中止となる。同年に自己最多の25試合に登板。1勝2敗1セーブ、防御率2.39の成績を残した。
しかし同年オフ右ひじを痛め、アメリカにおけるスポーツ医学の第一人者であるフランク・ジョーブ博士のもとで治療を行い、復活を目指すが完治しないままで登板した2軍の試合で全力投球をすることが出来ず、以後1軍登板の無いまま1996年限りで引退。
その後は毎日放送・KBS京都の野球解説者を経て、1998年にドラマ『魚心あれば嫁心』で俳優デビュー。2002年にはかつて所属した阪神を題材にした映画『ミスター・ルーキー』に出演するなど、個性的な脇役として活動をしている。
また近年は舞台演出家としても活動している。女性アイドルグループ「JK21」のプロデュースも行っている。
嶋 尾 康 史 氏(22期生)